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第3分科会 【同志社女子中学校・高等学校】

テーマ ICTを用いて古典的学習内容を見直す
発表内容 探究学習
発表者 片柳香織

発表概要

 現在、教育界において、ICT教育と従来型教育が対立概念として語られがちである。しかし、本質的に重要なことは以下の4つであると考える。@情報と出会うA情報を整理するB必要なことを暗記するC情報を活用する、である。@について、「情報」とは何かについて、すべての教員が図書館情報学の知識を持っていることが必要と考え、参考文献などを紹介した。また、A出会った情報の整理をする1つのありかたとして、担当者がすべての授業で取り入れている「年間課題:100冊のブックリストを作ろう」について紹介した。これは読むことを強要せずに、図書館でブラウジング(目的を定めずにうろうろする)を行い、どのような本を手に取るか、それによって自分の個性を見つめるという課題である。100冊のリストを作るために様々なツールを紹介するが、やり方は生徒に任せる。検閲に該当しないよう、評価はアンケートの形で行っている。Bの暗記については「暗記ではなく考えることが重要」という批判がよく見られる。それについて、江戸時代から明治初期の「暗記」に関するあり方の変遷を通して考えた。(主な参考文献は辻本雅史『江戸の学びと思想家たち』岩波新書、2021年)江戸時代の知識人は漢文の素読(意味の解釈を加えず覚えるまで音読する)を通して知識を身につけていた。明治初期になると、それは「型にはまった形式主義」として批判され、読書を通して考えることを重んじる「教養主義」が主流となっていった。しかし、江戸の学びは「型にはまったもの」でありながら、知識を身体化することによって多種多様な思想を生み出した。身体性が失われつつある現代においてこそ、「知の身体化」を再評価すべきではないかと考える。そのため、教育現場では暗記を「頭に知識を詰め込むもの」ではなく「五感を用いて知を身体化する」ものと位置づけるべきであると考える。そのために、視覚や聴覚を用い、忘却曲線と組み合わせたアプリなども紹介した。「覚えるvs考える」ではない。身体化されるまで覚え込んだ知識は自ずから化学変化を起こす。「考えさせる」を直接目的とせず、知の身体化を目的とすべきではないかと考える。
第3分科会 【女子中高】

質疑応答

Q.試験はどのようにあるべきか?

A.従来型の試験を全否定すべきではないと思う。「覚える」ことに意義を見出すと、かつてのセンター試験などは非常によくできていたと思う。取り入れるべきところは取り入れていくべきではないか。

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