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2020.9.25 2020年度「同志社創立者新島襄生誕之地」及び「同志社創立者新島襄終焉之地」碑前祭の中止について

 新型コロナウイルス感染症の感染状況はピークを過ぎたと言われ、官民一体型の各種Go Toキャンペーンなどの雇用・経済対策が実施されていますが、これから冬にかけては新型コロナウイルスが新たな猛威を振るう可能性が否めず、まだまだ予断を許しません。
 このたび、自治体や校友会、同窓会等の関係各位と協議した結果、参加者の健康と安全及び地域における感染拡大防止の観点から、誠に残念ですが「同志社創立者新島襄生誕之地(2021年2月12日)」及び「同志社創立者新島襄終焉之地(2021年1月23日)」碑前祭を中止することといたしました。
 新島は、1843年(天保14年)2月12日(陽暦)に安中藩邸(現:東京神田一ツ橋学士会館)で誕生しました。青年時代に藩の体制に疑問を抱き、憂国の士として国禁を犯して海外に脱出し、多くの人々の支援によって、都合10年間アメリカやヨーロッパで教育思想をはじめ、多くの事を学び帰国しました。山本覚馬の賛同を得て同志社英学校を開校した後も、建学の精神の実現に向けて全国各地にて遊説を行いましたが、悲願の大学設立運動の最中に病に倒れ、静養先の神奈川県大磯の旅館百足屋で、徳富蘇峰、小崎弘道らに10か条の遺言を託して激動の生涯の幕をとじました。
 新島が全国から集まった夏期学校の生徒に向かい行なった、「明治の維新は青年の働である。同じやうに青年諸君は奮起して、精神的日本の改革に従事せねばならぬ。一本の薪は十分に燃えない。沢山な薪をあつめれば、互いに火力を助け合うて、熾に燃ゆるのである。その如く、青年は協力一致して事を行はねばならぬ」との趣意の演説にもあるように、新島亡き後も熊本バンドをはじめ、多くの学生、卒業生がその志を受け繋ぎ、現在の「同志社」を築いてきました。
 新型コロナウイルス感染症の影響で、今年度の碑前祭を開催することは叶いませんが、 1月23日、2月12日には各自がそれぞれのご自宅、教会、学校などから、新島の志を共有するとともに、新型コロナウイルス感染症の終息を一日でも早く迎えることができるよう共に祈念したいと思います。
なお、同志社創立の日記念祈祷会(11月29日)は、インターネットにて同時配信を行う予定です。

2020年9月25日
学校法人 同志社
総長・理事長 八田 英二

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