2025.11.29
同志社創立記念日祈祷会を執り行いました
11月29日(土)午前9時から、若王子山頂にある同志社墓地において創立150周年同志社創立記念日祈祷会が執り行われた。祈祷会では、黙祷に続き、讃美歌「昔 主イェスの」が斉唱され、続けて司会者である平松譲二女子中学校・高等学校(以下、女子中高)宗教主任により聖書朗読と祈祷が捧げられた。さらに、女子中高聖歌隊による「われらの母校」の合唱が捧げられた。その後、中村久美子女子中高校長により「受けるよりは与える方が幸いである」と題した奨励が行われた。奨励の概要は、次のとおりである。
私たちは、「受けること」を祈り願うもの。しかし、パウロによると、それよりももっと幸いなことがある、それが「与えること」だという。与えることそれ自体に幸いがあるというのである。
以前、YWCAカンファレンス当番校として、「命」をテーマに取り組んだ際、「与えられた命をどう社会にいかしていくか」を考える機会を得た。そのためには、まずは自分が自分のありようを認め、拠ってたつところのある、自立した人間でなければならない、と認識するに至った。しかし、自分のありようを認めるとは難しいもの。良い行いをしようとしても、それとは裏腹な気持ちがあることに気付き、自己嫌悪に陥ることもある。そんなとき、新聞で『私たち人間は、多くの命を奪い糧として生きている。生きていく限り、必ず、誰かに悲しい想いをさせ、また誰かを傷つけてしまうもの。だからこそ、人に優しさを配り、誰かを幸せにするために生きるのだ。』という記事に出会った。そのことを謙虚に認めつつ、だからこそ、自分らしく、自分にしかできない何かを行い、少しでも人に幸せを運ぶことができればと思う。
新島先生がアメリカで見た活力ある社会の源は、教育制度にあることに気づかれ、キリスト教主義、すなわち知識と心の教育を両立する重要性を説き、同志社の開校が実現した。この精神は今日まで変わることなく、同志社の諸学校に受け継がれている。同志社の卒業生の強さは、聖書に言うところの「与える愛」の中に自分の進むべき道を探し求めるからこそと思う。新島先生が、−「キリスト教とは何か」と問われたら、「愛をもってこれを貫く」と答えたい−と述べたように、身につけた力をキリスト教の愛の精神から離れることなく用い、本当に人を愛することのできる人として、互いに手をとって生きて行く社会を築く、その担い手となる人物を輩出し続ける学園・同志社であり続けたいと願う。
その後自由祈祷の時間が持たれ、八田英二総長・理事長、小原克博大学長、川崎清史女子大学長等が祈りを捧げた。最後に黙祷により、同志社創立記念日祈祷会は締めくくられた。今年は、創立150周年記念日ということもあり、約250名の生徒・学生・教職員から卒業生に至るまで幅広い年齢層の人々が墓前に集まった。
文責:女子中高宗教部主任 平松讓二






