学校法人 同志社 事業報告書 2014
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26特集1 2014年12月3日、同志社大学今出川校地の良心館で「良心教育に関するシンポジウム」が開催されました(主催:同志社キリスト教教育委員会)。「良心学」に関する取り組みを紹介すると同時に、世界に開かれ、通用する「良心」の在り方を提起し、良心教育の今日的意義についての課題の共有が目的でした。なぜ「良心学」が必要なのか  大谷實総長による開会の挨拶に続き、同志社大学神学部の小原克博教授が「良心学とは」と題して基調講演をしました。小原教授は冒頭で、「良心学」が設けられた背景について話しました。 「初期の同志社では新島襄が校長として限られた学生と生活を共にし、学生たちは新島の言葉を聞き、背中を見ながら、その精神を体得していきました。しかし同志社が徐々に大きくなっていく中で、新島の考えや同志社の目指すところが見えにくくなっていきます。そこで05年に「同志社科目」を作り、建学の精神とキリスト教などの講義を行ってきました」。 では、なぜ14年度に「良心学」を開講したのでしょうか。小原教授は、「同志社科目」と違う特徴があると言います。 一つ目は、対象とする時代の違いです。同志社科目は新島襄の生涯や初期同志社の歴史に焦点を当てているので歴史学の一部と言えますが、良心学は同志社の良心を現代においてどのように適用していくのかが主題です。二つ目は対象者の違いです。同志社科目は同志社の在校生向けに展開されてきましたが、良心学は同志社の枠を超えて世界にどう貢献できるのかを問うていきます。そして三つ目は多様な視点です。神学と宗教学、国際政治、社会福祉、現代イスラム研究や国際生命倫理の専門家などが集い、それぞれの視点・立場から良心との接点を探る議論を交わし、生まれたのが、良心学なのです。 続いて小原教授は、良心教育とは何かについて言及しました。この場合、良心という言葉だけに集中して議論するのではなく、新島が掲げたいろいろな理念を学ぶことが大切であると指摘しました。知徳並行教育、自由教育、「人ひとり」を大切にする姿勢、新島独自の地方教育論などです。本講演では、特に「人ひとり」を大切にする姿勢や地方教育論について、具体的な新島のエピソードを交えながら紹介しました。最後に、同志社創立150周年に向けて新しい良心学の方向性を示すことが重要で、三つの教育理念「キリスト教主義」「自由主義」「国際主義」について、再解釈、再定義していく作業が必要であると話しました。良心と結び付いた建学理念を世界へ 基調講演の後は、「『良心学』が目指す地平」と題したパネルディスカッションが行われました。基調講演を行った小原教授がコーディネーターを務め、村田晃嗣学長、木原活信社会学部教授、内藤正典大学院グローバル・スタディーズ研究科長・教授、位田隆一大学院グローバル・スタディーズ研究科特別客員教授がパネリストで登壇しました。 村田学長が意識したのは、専門の国際政治からの視点です。「新島は150年前に国禁を犯して渡航した米国の白人社会の中でも、京都でキリスト教の学校をつくろうとしたときも、完全なマイノリティーでした。マイノリティーの視点がどれだけ生かされるかということは、自らを振り返る、自らを疑うという意味でも、良心を構成するときに大変大事ではないかと、新島の経験から改めて思います」。 木原教授は社会福祉学が専門です。「社会で苦しむ人と共に痛み苦しむこと自体が『良心』と密接にかかわり、社会を動かす重要なファクターになっているのではないかと思います」。 内藤正典教授が授業で伝えたのは、イスラムという宗教に関する良心です。「植民地支配の歴史の上に最後に出てきたのが『イスラム国』などによるテロ行為。だが彼らを武力で潰すことは絶対に不可能です。ならば、我々はどのように対話の道を開くことができるのかを若い学生たちに理解してもらいたくて、イスラムに関する授業を行いました」。 位田特別客員教授は「科学技術の良心」を問う授業をしました。「科学技術は、基本的には人類に恩恵を与えてくれますが、時に取り返しのつかない、非常に大きなマイナスを与える可能性がある。科学技術者、出来上がった科学技術を利用する者、そして科学技術政策を進める国という、3段階で良心を考える必要があるのです」。 同志社創立140周年を迎え、同志社は良心と深く結び付いた建学の理念を持っていることが強みであり、これをグローバルに展開していくことが、今後の発展に向けて非常に重要であることを再確認し、シンポジウムは閉会しました。特集1良心教育に関するシンポジウム世界に通用する「良心」とは良心教育の今日的意義を考える

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