学校法人 同志社 事業報告書 2013
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学校法人 同志社 事業報告書201325特集1 同志社大学今出川校地の良心館で2013年11月14日に、「良心教育に関するシンポジウム」が開催されました(主催:同志社キリスト教教育委員会)。同志社教育の原点である良心教育をテーマに、「現在の同志社にとって何が必要で、今後、何を行えばよいのか」などについて考えるシンポジウムです。当日の映像は、同志社大学京田辺校地の情報メディア館にも配信されました。良心教育を正面から議論 開会にあたって大谷實総長は、以下のように挨拶しました。 「同志社のブランドとも言うべき良心教育について、学園内ではこれまで正面から議論されたことはありませんでした。また、『キリスト教主義』『自由主義』『国際主義』という教学の理念と建学の精神である良心教育の関連についても、ほとんど検討されていませんでした。これまで学園全体で明確にされてこなかった良心教育の中身を考え、同志社における良心教育の現状と、現代にふさわしい良心教育とは何かを展望していきたいと思います」 その後、同志社大学神学部長でもある水谷誠理事長が、「良心教育とは」と題した基調講演を行いました。基調講演の後は、「同志社の良心教育」と題したパネルディスカッションが行われました。同志社女子大学の加賀裕郎学長がコーディネーターを務め、水谷理事長と同志社大学の村田晃嗣学長、同志社中学校・高等学校の木村良己校長がパネラーとして登壇しました。今回のシンポジウムを通じて、現代にふさわしい良心教育のあり方が見えてきました。「良心」と「conscience」 水谷理事長は基調講演で、特に「良心」と「conscience」について話しました。 「日本語の『良心の意味』とキリスト教的な『良心の概念』は、ニュアンスが違います。日本語の『良心』は、英語では『conscience』になります。明治初期に中村正直が『西国立志編』というイギ リスの書物を日本語に訳した時に、conscienceの訳として良心という日本語をあてました。しかし、conscienceとはともに(con)科学する、あるいは理性によって知る(science)ことであり、『善悪』の意味合いは含まれていません。『自らを問う(科学する)こと』『さらに問いかけること』『神と対話すること』『祈りにつながること』が、キリスト教的な良心の概念なのです」 これが、同志社が大切にしている良心の概念です。「いろいろな判断基準がある中で、この世界を越えたもの(神)との対話を試み、自分の立ち位置を定めていこうとする姿勢が、良心の持つ意味だと考えています」(水谷理事長)。自分を自由に治めて(自由・自治)、自分の足で立って(自立)生きていける人物を育てるのが、同志社の良心教育なのです。 同志社の魅力は、多様な人たちが集まっているところにあります。そして、同志社がこれからグローバル化をさらに進めていくうえで、多様性に対する感性、異なる価値観に対する感性が重要になってきます。現代にふさわしい良心教育 そこで同志社大学では、良心教育を一方的に学生に押し付けるのではなく、4年間の学びの時期を大切にして、そこで成長してもらうための様々な仕掛けを作っていきたいと考えています。また、神学・哲学・政治学などの様々な視点から、良心を学問として探究するプロジェクトを展開していくつもりです。 同志社女子大学では、「リベラル・アーツ」と「キリスト教主義」が良心教育の根幹です。高い就職率や各種資格試験の合格率を目指しつつも、大切なのは「地の塩」「世の光」となる自治自立の女性を育成することです。日本や世界を良くしていく女性を、一人でも多く育てます。 4つの中学校・高等学校では、単に大学に入るためだけの受験勉強ではない、「人類の益」となるような学問を、それぞれの教科で提供しています。そうすることで、生徒たちはその空気を感じ取り、良心を携えた人物として花開いてくれると信じています。 同志社小学校の校歌には、「えらいひとになるよりも よいにんげんになりたいな」とあります。偉い人になるよりもはるかに難しい良い人間を育てるのが、同志社の初等教育の本質です。 今後も同志社は、建学の精神であり教育の原点である「良心教育」の意味を、時代に合った形で問い直していきます。特集1良心教育に関するシンポジウム良心に溢れた人物を育てる同志社教育の「原点」を考える「同志社の良心教育」と題されたパネルディスカッション

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