学校法人 同志社 事業報告書 2011
8/40

8─同志社女子大学は2011年10月24日に、創立135周年という節目の年を迎えました。 同志社女子大学の前身である女子塾は、1876年(明治9年)10月に、現在の京都御苑内にあった宣教師・J.D.デイヴィス邸(旧柳原邸)において、女性宣教師・A.J.スタークウェザーと、同志社創立者である新島襄の妻・八重によって始められました。翌年の4月には、同志社分校女にょ紅こう場ば(校長・新島襄)として正式な認可を受けて開校し、同年9月には、同志社女学校と改称されました。 その後、同志社女子専門学校を経て、現在に至っています。創立135周年を迎えて、多くの苦難を乗り越えて現在の礎を築かれた先人の方々に、改めて感謝の意を表したいと思います。 2000年以降は、社会の動きや学生ニーズの多様化に応えるため、新たな学部・学科を相次いで開設しました。2012年4月には、薬学研究科が開設されます。5学部・10学科、4研究科・7専攻で約6,500名の学生が学ぶ女子総合大学になります。─今後の同志社女子大学のあり方についてお聞かせください。 これからの時代にふさわしい女子総合大学を作りたいというのが、私の願いです。 同志社女子大学は「キリスト教主義」、「国際主義」、「リベラル・アーツ」を教育理念としています。この3つの理念をベースに、良心を持って知識・能力を運用し、社会の礎となって活躍する自立した女性を育むことをめざしています。 具体的には、専門分野の知識や技術の修得だけでなく、専門以外の学問も学ぶことで広い視野を養い、物事の本質をとらえる力を身に付け、豊かな社会づくりに貢献できる女性を育んでいきます。─女子塾の設立にかかわった新島八重はまさに、良心に基づいて行動し、社会の礎となって活躍する自立した女性でした。 新島八重は、「生きるべき道を自らの力で切り開き、迷うことなくその道を歩む」という信念を持っていました。夫の襄を亡くした後、八重は日清戦争・日露戦争に篤志看護婦として従軍し、傷病兵の看護にあたりました。自己の利益だけにとらわれず、主体的に他者への愛を実践できる女性でした。こうした八重の行動は、社会における「地の塩、世の光」となる女性を育てるという、同志社女子大学の教育理念の1つ「キリスト教主義」に通じます。 2011年度から発信している新しいメッセージ「Always rising to a new challenge いつの時代も、新しきを生きる。」は、建学にあたっての新島襄の思いや、ハンサム・ウーマンと呼ばれた新島八重の生き方を強くイメージしたものです。「時代の変化に対応しながらも、個性を磨き、輝かせる女性であれ」という思いを込めると共に、同志社女子大学ならではの「伝統と革新」を感じさせる言葉で表現しました。─2012年2月に、女子大学の「将来構想に向けた方針・方策」を公表されました。 建学以来受け継いできた教育理念を継承しながら、社会の変化にどのように対応し、どのような女性を育てるかという観点から、今後5年間(2012~2016年度)の活動方針・方策と、それを実現するための目標と具体的な取り組みを定めました。 今後5年間は「リベラル・アーツ」、「社会」、「女性・女子大学」の3つをキーワードにします。具体的には、これからの時代にふさわしい形に「リベラル・アーツ教育」をデザインし直し、社会とのつながりを意識した教育を行います。そして、同志社女子大学にしかできない教育、女性に必要な教育を確立します。 こうした3つのキーワードを基にして、「同志社女子大学型知性の構築」、「『志』の実現を支援する体制の構築」、「21世紀を生きる女性を育む『ホーム』を作る」という3つの方針と、「安定した財政基盤の確保」、「大学の組織力の強化」、「教職員の意識改革」という3つの方策を定めました。 これらの方針と方策を実現するため、「理念」「教育・学生支援」「研究」「施設・設備」など7つの分野について、具体的な目標を作成しました。今後、各部門で取り組みのスケジュールを作り、全学を挙げて実現に向けて行動していきます。同志社女子大学加かが賀 裕ひろお郎学長リベラル・アーツの理念のもと、豊かな社会づくりに貢献できる女性を育てます2011同志社女子大学長インタビュー

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です