同志社墓地のご案内
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至、一角のム新島の死から2年後、同志社設立に尽力した新島の義兄、山本覚馬が新島の後を追うように永眠し、彼の傍らに葬られました。以降、この墓地には、新島、山本両家の関係者をはじめ同志社にゆかりのあるキリスト教徒が次々に埋葬されました。1910年には、市の共葬墓地のうち148坪を新島・山本両家の墓地とする許可証が新島八重(新島裏夫人)に交付されました。彼女の死後、墓地の使用権と管理権を同志社が継承。1935年、同志社理事会は「校祖墓地を聖地として永遠に保存する」ための整備を決議。この地が、同志社にとって極めて大切な至高の地となった瞬間でした。1986年、不慮の事故で墓碑が倒壊する事態に見舞われましたが、アメリカ・ヴァーモント州ラットランドにあるグレイス教会から石材輸送のための献金が寄せられたというエピソードがあります。同地は、かつて新島裏がアメリカ留学から帰国する際、「日本にキリスト教主義の学校を設立したい」と涙ながらに訴えた結果、「同志社の核」となる多額の献金(約5,000ドル)が会衆から捧げられた場所です。71ザ111愚円滑略珂

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