LIFE AND LETTERS OF JOSEPH HARDY NEESIMA
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序文1891年、ボストンのホ一トン・ミフリン商会は『ジョセフ・ハーディー・ニージマの生涯と手紙」を最初に刊行し、引続いて何版かを重ねた。編者ArthurSherburne Hardy (1847-1930)は新島の偉大なる恩人アルフイーアス・ハーデイ一氏の三男で、大学教授、作家及び外交官の経歴の持主である。彼の父は1865年10月最初に新烏に会って、彼の密航理由書を読んで感激し、彼の願望ーキリスト教を学び、祖国の同胞に伝えたいーを実現させるために彼が理事を勤めていたPhillipsAcademy, Amherst College及びAndover Theological Seminaryで新島が学ぶことができるよう取り計らった。新島の9年間のアメリカ滞在中はもとより彼の帰国後も、ハーディーは精神的・財政的援助をおしまなかった。Arthur Sherburne Hardyと新島との出会いは彼が18字、新島が22才の時に始まる。彼は彼の両親が新島を息子として愛していることをよく知っていた。新島は帰国後宣教師としてキリスト教の伝道に励むとともに、キリスト者の紳士を育成するための大学を設立せんとして、全身全霊を打ち込ん疋結果、1890年(明治23年)1月、僅か47才の若さで亡くなった。当時DartmouthCollegeの教授をつとめていたArthurSherburne Hardyは新島の死後間もなく彼の伝記編さんのための資料集めに来日した。彼はl討lじく新島の伝記を編んでいたアメリカン・ボードの宣教師で、1875年(明治8年)以来新島のよき理解者・協力者であったtheRev. Jerome Dean Davisに会い、また新島未亡人、他の宣教師、日本人教師に会って、新島に関する第一級の資料一彼の日記・手紙・同志社記事等ーを集めたと考えられる。勿論{皮

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